子供のころ、40年代の東京の地図を見ていて、環状線(C1)の一部に「4号線」とか「3号線」と記入されているのをみて、昔は環状部はそれぞれ1~4号線の一部の集合体だったのかと思っていたが、それぞれどの部分がどの路線に属していたのか気になっていた。
1号線がC1で北と南に分断されているところを見ると、それ以外のところがそれに属しているのだろうと想定し、反時計回りに以下のように分割されていたのだと思っていた。
2号 : 浜崎橋 - 一ノ橋
3号 : 一ノ橋 - 谷町
4号 : 谷町 - 三宅坂
5号 : 三宅坂 - 竹橋
すると、竹橋 - 江戸橋間が余るので、これが欠番となっている「8号」なのではと想定していた。
最近、これに関する記述が「首都高速の謎」 (扶桑社、清水章一著」に書いてあって、長年の疑問がすっきりした! 昭和32年段階の計画によると、以下のようだったそうである。
2号 : 浜崎橋 - 一ノ橋 + 一ノ橋 - 谷町 (青)
3号 : 谷町 - 三宅坂(緑)
4号 : 三宅坂 - 竹橋(紫)
5号 : 竹橋 - 江戸橋
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