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2013年12月22日日曜日

世界地図の謎 水運の影響

地図を見ていると、なぜこの街はここにあるのかという疑問を持ったことはありませんか?
例えば、
 なぜニューヨークが世界経済の中心地なのか?
 なぜ平安時代の都が京都におかれたのか?
 なぜヨーロッパ文明がギリシアにおこったのか?
 なぜ大阪が天下の台所と呼ばれたのか?
 なぜ陸奥の国は東北地方の西側ではなく東側にあるのか?
などなど…

実はこれらは、水運に関係していると思われます。

太古の昔から、つい100年ほど前まで、水運は物流の中心でした。
そのため、現在の主要国の国土の経済的な基本構造は、水運の便を中心に形作れられているのがわかります。

鉄道が広がったのが1800年ごろの産業革命以降で物流の中心になり、その後自動車が物流の主役となってくるのは1914年第一次世界大戦後。
日本では、さらに遅く、鉄道が敷設されたのは明治維新後1900年ごろ。
それ以前の世界では、重いものを運ぶ手段は、船を使うしかありませんでした。
馬を使う方法もありますが、一回に運べる量は船の比ではありませんし、馬を使うとその飼料や水も必要になります。船は風さえ吹けば燃料はいりません。

人の移動は、馬を使ったり徒歩で移動する方法もありましたが、重量物を運ぶのは河川・海と船を使うのが唯一の方法だったわけです。
日本は特に山がちなため、欧米のように近代に馬車が使われることもありませんでした。
そのため、経済活動と水運の便は、切っても切れない関係にあったわけです。
戦争も、兵糧や武器といった重量物の運搬は、馬か船を使わざるを得ず、経済だけでなく政治や国の形も水運の便が決めていました。

人の移動さえ、1800年代後半まで、海外への旅行は船の移動が主であり、幕末の留学生は数か月もかけて欧米に船で旅行していたのは、みなさんご存じのとおりです。

現在では原油や自動車の輸出入や運搬でしか思い浮かばない船であり、学校の歴史の授業でも水運の役割はさらっとしか述べられておりませんが、水運と船が世界の歴史に与えてきた影響は強調しすぎてもしすぎることはないでしょう。

世界地図を見ながら、このあたりの考察をしてみたいと思います。




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