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2015年5月18日月曜日

大阪都構想で懸案になった大阪市の人口分布

昨日、大阪都構想の住民投票が行われ、否決という結果がでて話題になっている。

そこで、大阪都構想に反対を投じた人は、大阪の南部に多かったということがわかり、「大阪の南北問題」を指摘する意見が出てきている(以下の記事の引用のように)。

「「大阪都構想住民投票」で浮き彫りになった大阪の「南北格差問題」」
http://bylines.news.yahoo.co.jp/furuyatsunehira/20150518-00045813/

上記の記事では、通常の地図で区別に賛成多数の区と反対多数の区を色分けしてあるが、
いつものように人口面積地図でマッピングしてみた。
(緑-賛成多数の区、ピンク-反対多数の区)

こう見てみると、賛成多数の区で人口が大きいのは城東や淀川区くらいで、他の人口が多い区は南側に偏っていることがはっきりしてくる。
他の大都市でもそうだが、都市化が進んだ地域は夜間人口が減ってドーナツ化現象が進む。
(近年はタワーマンションの出現で緩和されてきているが)
変革を求める都構想支持層は北部の富裕層に多かったと思われ、橋下さんの選挙戦略としては南部の票田の支持を得る施策が重要だったということか。

[クリックすると拡大]

なお、都構想の反対意見として「大阪市域は大阪府の中で3割ほどしか人口がないので、府内での発言力が減少する」というものがあった。(東京は23区が900万、多摩地域が400万で大半が23区域)
また、橋下氏自身も、選挙後に「100年視点で大阪を見たときに、大阪は市域の拡大に失敗したのが問題だった。堺をなんとかしたかった」と発言したそうである。

以下は、大阪府全体の市町村別の人口面積マップだが、この地図を見るとそのことがよくわかる。
※ 地図の北部と南部がゆがんでいるのは、隣接県の市町村との接続のゆがみです


[クリックすると拡大]

確かに、堺を取り込めれば大阪府の4割程度に人口シェアは増えてきて、状況は大きく変わったのかもしれない。堺の市長選のときに橋下氏は国政に忙しくて維新派は負けてしまった。その失策があとまで尾を引いたのか。

なお、堺以外にも東大阪、枚方、豊中などの大きな市がまだあるため。大阪と堺を足しても過半数は超えない。
大阪市が南北に分かれて、文化的に近い旧摂津地域と一緒になって独立するというシナリオも面白いのかもしれない。大阪北部、枚方、豊中、高槻、吹田などが一緒になれば、大阪府の人口の4割くらいに達することになることも、上の地図からわかる。

[参考記事]
東京都の人口分布 面積地図 (市区町村別,2013年)
日本の人口分布 市町村別 面積地図 関東地方版
大阪都構想が否決されたのは、高齢者でも南北格差でもなく、市民が市町村合併と受け取ったから!?
大阪とニューヨークの類似点
文明の発祥の地 : エーゲ海と瀬戸内海

2014年8月13日水曜日

韓国の朴大統領の反日政策に対する地政学的考察

昨今、日本国内では、朴政権の親中反日政策に対する批判が大きい。
しかしその理由の分析となると、「父が親日だったからそれを否定するためだ」とか「日本バッシングを行って韓国企業を優位にするため」とか「感情的だから」とか「もともと中国の冊封体制に慣れた国だから」とかの説明が上がっている。

しかし、仮にもエレクトロニクスや自動車といった先進的な製品を世界に大量に販売している先進経済国が取るには、納得感がない説明が多い。

冷静に考えてみると、韓国が親中路線を取るからと言って反日である必要性はなく、両方と仲良く付き合った方がメリットがあるに決まっている。
特に数年前まで韓流ブームで観光や音楽、ドラマなどが日本で広く受け入れられていたし、サムソンなどの大手メーカーも日本企業から基幹部品の調達を受けている。
極端な反日(特に一銭の特にもならない慰安婦問題)に固執するのは、妙である。

そこまでして、朴政権が反日にこだわるのは、かなり強い意志と戦略があると見た方が良い。

鍵は南北統一
その戦略とは、南北朝鮮の統一であろう。
私は政治家でも外交官でも国際的ビジネスマンでも軍事関係者でもないので、ただの憶測だが、
そう考えると妙に辻褄が合う。

韓国主導の南北朝鮮の統一に必要な要件は何か?言うまでもなく中国の支持(最低でも見過ごしてくれること)である。
しかし、対米の緩衝地帯である北朝鮮を失うことは中国が看過するはずがない。
そこで、韓国自らが「中国寄りの」緩衝地帯に名乗りを上げることで、北朝鮮の代わりになることを中国に納得させ、北朝鮮の後継者として見てもらおうということだろう。

本来であれば米軍を追い出して反米路線を掲げるのがよい。
しかしそれは中国に組み込まれ独立を失うリスクが大きい。
自由経済で独立繁栄を享受している今の韓国が、わざわざ共産中国の傘下に入る選択肢もない。

そこでどうするか? 反米の代わりにアメリカの忠実な同盟国である日本と手切れすることで、米国とは決定的な離反を避けながら、親中政策をとっているように見せかけているのだろう。

親日から反日へこれだけ急に舵を切ったのは、やはり北朝鮮情勢が危機に瀕していて、急いでいるからではないか。
いつ金正恩政権が倒れてもおかしくない状況で、最もありそうなシナリオは、北朝鮮有事の際の、中国軍による、中国人保護を口実とした北朝鮮への進駐であり、それに続く保護国化(最悪、延辺朝鮮自治区への併合)だろう。

そうすると、中国が倒れない限り、朝鮮半島北部は韓国に戻ってこないことになる。
残念ながら中国は経済も好調で政変などは当面起きそうにない。

米ロ冷戦の負の遺産
既に朝鮮半島が分断されてからすでに70年。ベルリンの壁が崩壊してから25年。
冷戦時代の分断国家だったドイツや東ヨーロッパ諸国、ベトナムなどは分断状況は解消されていて、冷戦時代の遺物が残っているのは朝鮮半島だけといってもよい。
金正恩政権が崩壊する機会を逃すと、分断状態が永遠に固定されてしまうかもしれない。今が何百年に一回の統一のチャンスである。そう考えれば、日本との関係など犠牲にしても痛くないと考えたのではないか。

韓国は中国と米国の間のこの綱渡りをなんとか成功させたいだろうが、うまく行くのか?
今は中国も日本を叩くことで得られるメリットが大きいので共同歩調を取っているように見えるが、韓国政府の腹のうちは承知の上で、その時がきたら、北朝鮮と引き換えに米軍の完全撤退と中国軍基地の北朝鮮エリアへの設置を要求して来るかもしれない。

韓国が保全したい領土
実は歴史上朝鮮の版図が一番広かったのが李氏朝鮮(中国は清朝)の時代であり、その前の新羅も高麗も、朝鮮半島のくびれの部分(平壌と元山を結んだ線、37度線のちょっと北)までしか支配できなかった。

                                 (以下、背景マップはgoogle mapより引用)

・前1世紀~2世紀の情勢


この当時が最も漢民族の勢力が朝鮮半島に伸びた時期で、後漢が楽浪郡ほか4郡を設置。
魏の時代には、まだ日本は卑弥呼の時代。

・7世紀の情勢


朝鮮民族の国家として、百済と新羅が成立し、高句麗と争う3国時代。一説には南部は大和朝廷の勢力家(任那)があったといわれる。
今中国と韓国の間で、中国の地方政権か朝鮮の国家かということで論争が起きている高句麗は、契丹、遼、金、清などと同じでツングース系(満州族と同族)の国家と考えられており、漢族でも朝鮮族でもない。

・8~9世紀の情勢

このころから満州族の国家が隆盛を極めるようになる。日本は奈良~平安時代。

・11~12世紀の情勢

モンゴル系の遼、満州族の金が東北地方を支配。

・13世紀の情勢

モンゴル帝国(元)が高麗を支配下に入れ、高麗からも日本への侵攻軍(元寇)が起こる。
日本は鎌倉時代後期。

・15世紀の情勢

李氏朝鮮が成立し、ほぼ現在の朝鮮の領域になる。
数百年ぶりに中国で漢民族の国(明)が成立。
日本は室町時代で、日明貿易が行われ、間もなく倭寇が活発化して朝鮮半島沿岸も浸食する。

・17~18世紀の情勢

中国が再び満州族の清にとって代わられる。日本は江戸時代に入り、鎖国環境下でも、長崎でオランダと主に朝鮮だけは貿易が続けられる。

・現在

19世紀末から20世紀、李氏朝鮮が倒れた後大韓帝国が短命政権として成立したが、まもなく日本に併合される。
第二次世界大戦後、ソ連軍進駐地域が北朝鮮として独立。分断状態が既に70年ちかく続いている。

朝鮮民族は、中国本土の帝国の傘下に入りながらも、したたかに国土を増やしてきたと考えらえる。
そういう意味では、李氏朝鮮の版図を引き継いだ現在の南北朝鮮の版図が対中国に対する最大エリアであり、これを守ることは重要な課題であろう。



2014年5月30日金曜日

横浜中華街の謎(風水)

とある仕事で、中華街に来て、中華街の4つの入り口(門)を回った。
朱雀、玄武、、、とあると、聞いたことがある。風水の4つの方角だ。
朱雀が南で、玄武が北、朝陽門が東、延平門が西。




たしか南の朱雀が赤で湖沼、北の玄武が黒で山、東の青龍が青で川、西の白虎が大道で白だったけど・・と思いながら門を見ると、確かにそれぞれ、赤、青、黒、白に塗り分けられている。
(四神相応というらしい)。


現地の案内図はこち・・・を見てみると、ちょっと違和感。


青が上(北側)、赤が右(東側)になってる。
Google mapでも確認してみる。


やっぱり変。東門のほうが北門より北にあって、西門のほうが南門より南にある。何で?

昔、江戸の成り立ちの解説本で、江戸もこの四神相応になっていると書いてあった。

こんな感じで、東が隅田川、南(湖沼)が日比谷入江や溜池、北が飛鳥山とか赤城、西が東海道、甲州街道。
上野寛永寺(北東)と増上寺(南西)は、江戸を守るために、それぞれ鬼門と裏鬼門に作られたという説。
これを聞いたとき、そういえばちょっと傾いているなと思った。


そう考えると、横浜中華街も合点がいった。
ちょっと時計回りに傾けて北西が北になるようにすると、北に野毛山、東に東京湾(川?)、南に堀川/中村川(湖沼)、西に東海道(道)となって、とっても縁起がいい。


だから多少無理があるけど60度くらい捻じ曲げたのだ。納得。

ちなみに京都(平安京)も、鴨川(東)、鞍馬山(北)、巨椋池(南)、山陰道(西)で、鬼門に比叡山があって町を守るということで、これに従っているといわれている。

もっとも、京都や江戸のケースは後世の人が後付で関連付けをしたとも言われているらしいので真偽のほどは不明。ただ、横浜中華街は近世になってできた街なので、明らかに縁起をかついで曲げたのだろう。

尚、神戸やサンプランシスコの中華街はどうなのか?と思ってみてみたが、門がどうやら4つそろっておらず、このような対応にはなっていないらしい。



2014年4月24日木曜日

尖閣諸島、竹島、沖ノ鳥島・・・国境の島を比べてみた

最近、尖閣諸島、竹島、沖ノ鳥島など、国境の島が注目されている。
主に海洋資源をめぐる権益闘争が背景にある。
尖閣は中国、竹島は韓国との争いがことあるごとに話題になっている。
沖ノ鳥島はレアアースが近海に眠ることで脚光を浴びるようになったが、最近クレーン船が転覆して多くの犠牲者がでる事故が発生してしまった。

さて、これらの国境の島々、おおきさはどれくらいだろうか?並べて比べてみる。
(Google mapより)

尖閣諸島の中心、魚釣島
 

竹島
左側に島が見える。


沖ノ鳥
珊瑚礁の中に四角や丸の人工的な岩礁が見えるのが、島。島本体は1〜3mくらいしかないが護岸は直径数十メートルあり。


同縮尺の東京都心や羽田空港と比べてみると、大きさがわかりやすい。



魚釣島は皇居より一回り大きいくらい。竹島は東京駅よりちょっと大きいくらい。沖ノ鳥島は珊瑚礁は羽田空港より大きいが、島自体の直径は極小。
 
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もう少し大縮尺で並べて見る。

尖閣諸島
島々の広がりは、東京駅と東京駅と新宿駅くらい。


竹島
島々の広がりは、皇居や代々木公園くらいしかないか。

沖ノ鳥島
島々の広がりは、竹島と同様、皇居くらい。

比較のための同縮尺の東京都心



さらに大縮尺で、本土からの距離感を見てみる。

尖閣諸島は最も近いのが宮古島。台湾の基隆も近く、那覇よりも近い。
 
 

竹島は、韓国領のウーレン島が近く、
隠岐とはそれの1.5倍位離れる。更にその先に島根県。尖閣諸島よりは離島感がある。

沖ノ鳥島は、周辺に陸地が全く無い絶海の孤島。

同じ縮尺の関東地方。
隠岐と竹島の距離は、東京と宇都宮くらい離れている


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測ってみる。(マピオンiOS 版にて)
尖閣諸島から宮古島まで約160km。



竹島から島根県までは230kmくらい。
 
 
 
沖ノ鳥島から最も近い陸地である奄美大島までは、1200kmちょっと。
 


いずれも、その大きさと本土からの距離を見て見ると、無人島になってしまった理由がわかる。

2014年4月18日金曜日

第二のウクライナは? モルドバ共和国と沿ドニエストル共和国

以前として、ウクライナの東部では一部ロシア人の自治権拡大活動により、緊張が続いているようである。

実は、ロシアは、旧ロシア帝国~ソビエト連邦時代に、連邦内各共和国に移民を進めていたため、クリミアと同様に多数のロシア人が済み、ロシアの干渉を招きそうな地域がたくさんある。

例えば、モルドバ共和国。ウクライナとルーマニアに挟まれたこの国は、ウクライナとの国境に近いドニエストル川の左岸地域に多数のロシア人が住むため、1991年のソ連邦解体後に旧モルだビア共和国がモルドバ共和国として独立した際に、ドニエストル川左岸地域が「沿ドニエストル共和国」として、事実上独立してしまった。(国際的には、多くの国が独立を認めていない)。

クリミア自治共和国のロシア編入に刺激されて、事実上の独立状態にあるこの地域がロシアに編入されるのではないかと、危惧されている。

モルドバ全体での民族別人口構成は、モルドバ人78.2% ウクライナ人8.4% ロシア人 5.8%、カガウス人1.9%である。

人口は沿ドニエストル共和国を除くと300万人、沿ドニエストル共和国が 63万人である。

その人口構成と地域分布を見てみると、以下のようになる。


[モルドバ人]
がガウス自治区と沿ドニエストル共和国以外では、多数派。

[ロシア人]
沿ドニエストル地域と、キシナウ(ロシア名:旧キシニョフ)に多い。

[ウクライナ人]
北部と沿ドニエストル地区に多い。

沿ドニエストル共和国では、ルーマニア(モルドバ)系が31.9%、ウクライナ系が28.8%、ロシア系が30.4%と3民族が拮抗していたが、ロシア人主導で独立してしまったということだ。
沿ドニエストル共和国が分離抗争を起こした時は、ソ連邦の解体の陰に隠れて、ほとんどニュースにならなかった。

南部のガガウズ自治区を除くと、各地区ともモルドバ人が多数であり、これ以上のロシアとの紛争は起こらなさそうだ。(ロシアから見ると飛び地でもあるので)

なお、モルドバ人はルーマニア人と同族で、モルドバ中世はルーマニアの一部であった。近世、トルコに支配されてからルーマニアの北部の平原の西部がモルダビア、東部がベッサラビアと呼ばれるようになり、ロシアとトルコの争いによって、東部のベッサラビアがロシア領となり、以降、ルーマニア領とロシア領を行ったり来たりしたが、ソ連になって旧ベッサラビア地区がモルダビア共和国となり、現在のモルドバとして独立した。モルダビアの西部はルーマニア領のままである。



2014年3月2日日曜日

ウクライナとクリミアの分裂危機

先日、 「ウクライナは東西に分裂はしない・・・多分」 で述べたが、やはりクリミアの分離独立の動きが強まってきた。

ところで、このクリミア半島、どの辺にあるのか? 避寒地で有名なくらいなので、ロシアの地図でみるとかなり南にあるように書かれるが、日本と比べると稚内と同じくらいの緯度!
ハルビン、ミラノ、リヨンなどどほぼ同緯度で、かなり北にあることがわかる。
ちなみに冬季オリンピックが開かれたソチは、クリミア半島と海峡を隔ててすぐである。
(すぐとはいってもロシアの間隔であって、セバストポリとソチは東京と大阪くらいは離れている)
逆にソチは避寒地であるクリミア半島より南にあるということで、暖かい場所なのである。
(今回も、気温が暖かくなりすぎで問題になったが)
広いロシアの国土の中でこんな南でなんでやったのだろうか、という感じである。
(すぐ近くのグルジアからのロシア人自治区の独立運動を支えるためといわれているが)


ちなみに、このクリミア半島、どれくらいのおおきさだろうか?日本地図と同縮尺で比べてみる。



さすがロシア、南の端っこにぶら下がっている小さな半島とはいっても、日本と比べるとでかい。
関東平野と同じくらいの大きさである。このエリアにおよそ230万人が住んでいる。関東平野にはおよそ4000万人が住んでいるので、その20分の1くらいである。

ちいさな半島だが、重要な地域であり、軍港のセバストポリ、避寒地のヤルタ(第二次世界大戦でソ連の対日参戦が決められたヤルタ会談が開かれた都市)など有名な町がある。
歴史も日本よりはるかに古く、紀元前1000年の昔からギリシア人の植民都市などがあった地域である。

関連記事:
「ウクライナは東西に分裂はしない・・・多分」
第2のウクライナは?モルドバ共和国と沿ドニエストル共和国
尖閣諸島、竹島、沖ノ鳥島・・・国境の島を比べてみた

2013年12月29日日曜日

文明の発祥の地 : エーゲ海と瀬戸内海

物流は経済の発達の基本要素だが、その物流においては古来海運が主体だったことは述べたとおりです。

古代の造船技術が未熟で羅針盤もなかったころには、船は陸地から近いところを航行せざるを得なかったことは容易に想像できる。天候が荒れた時などに、難破したり方向が分からなくなったときに、星や太陽の動きと陸地の形以外に、航行の頼りになるものはかかったであろうからである。

そうなると、安心して航行できる場所は、必然的に両方に陸地が見える地域、つまり内海に限られてくるし、島が多い地域であればなおさら航行がしやすく、水運が容易に使えて物流が発展しやすいことがわかる。

そういった観点で世界地図を見てみると、内海でかつ多島海というのは、意外に少ない。
西洋では、エーゲ海、デンマーク付近、エーゲ海、東洋では瀬戸内海とフィリピン中央部くらいである。
そういった意味で、エーゲ海と瀬戸内海が、それぞれヨーロッパ文明と日本文明の古代の中心地となったことが、理解できる。

以下は、両社を同縮尺の地図で並べてみたものである。

[エーゲ海(ギリシア)の地図] - google mapより
 
[同縮尺の瀬戸内海の地図]

両社を比較すると、瀬戸内海のほうが面積は狭いものの、淀川河口から関門海峡までの距離と、アテネからコンスタンティノープル(イスタンブール)までの距離が同じくらいであることがわかる。
両社は1000年くらいの時代の差があるものの、水運を中心とした人と物の移動が活発に行われて経済が発展したことがわかる。
ちなみに、デンマーク付近が経済発展を見せるのは、瀬戸内海と同時代のノルマン人やバイキングの活動のころからになる。

[関連記事]
大阪とニューヨークの類似点
大阪都構想が否決されたのは、高齢者でも南北格差でもなく、市民が市町村合併と受け取ったから!?
大阪都構想で問題になった大阪市の人口分布

2013年12月22日日曜日

世界地図の謎 水運の影響

地図を見ていると、なぜこの街はここにあるのかという疑問を持ったことはありませんか?
例えば、
 なぜニューヨークが世界経済の中心地なのか?
 なぜ平安時代の都が京都におかれたのか?
 なぜヨーロッパ文明がギリシアにおこったのか?
 なぜ大阪が天下の台所と呼ばれたのか?
 なぜ陸奥の国は東北地方の西側ではなく東側にあるのか?
などなど…

実はこれらは、水運に関係していると思われます。

太古の昔から、つい100年ほど前まで、水運は物流の中心でした。
そのため、現在の主要国の国土の経済的な基本構造は、水運の便を中心に形作れられているのがわかります。

鉄道が広がったのが1800年ごろの産業革命以降で物流の中心になり、その後自動車が物流の主役となってくるのは1914年第一次世界大戦後。
日本では、さらに遅く、鉄道が敷設されたのは明治維新後1900年ごろ。
それ以前の世界では、重いものを運ぶ手段は、船を使うしかありませんでした。
馬を使う方法もありますが、一回に運べる量は船の比ではありませんし、馬を使うとその飼料や水も必要になります。船は風さえ吹けば燃料はいりません。

人の移動は、馬を使ったり徒歩で移動する方法もありましたが、重量物を運ぶのは河川・海と船を使うのが唯一の方法だったわけです。
日本は特に山がちなため、欧米のように近代に馬車が使われることもありませんでした。
そのため、経済活動と水運の便は、切っても切れない関係にあったわけです。
戦争も、兵糧や武器といった重量物の運搬は、馬か船を使わざるを得ず、経済だけでなく政治や国の形も水運の便が決めていました。

人の移動さえ、1800年代後半まで、海外への旅行は船の移動が主であり、幕末の留学生は数か月もかけて欧米に船で旅行していたのは、みなさんご存じのとおりです。

現在では原油や自動車の輸出入や運搬でしか思い浮かばない船であり、学校の歴史の授業でも水運の役割はさらっとしか述べられておりませんが、水運と船が世界の歴史に与えてきた影響は強調しすぎてもしすぎることはないでしょう。

世界地図を見ながら、このあたりの考察をしてみたいと思います。




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