➡︎こちらなど。「ウクライナ、反政権デモが首都掌握 分裂の危機 」
しかし本当に東西分裂の可能性はあるのだろうか?
ウクライナ政府の人口センサス(2001年)から、推測してみよう
ウクライナの地域行政区分と、人口は以下の通り。全国で4500万人ほどである。
それに比べ、東部は田舎と言える。
日経の記事にあるように、国土中央を流れるドニエプル川を境に、東西はかなり様相を異にし、東西は違う文化圏であり、東部がロシアとの結び付きが密であった。
東部はキエフ公国の時代からロシア正教の伝統を継ぐ長い歴史があり、キエフ公国がモンゴルに滅ぼされたあとは、リトアニアやポーランドの支配下に入っていた。
(キエフ公国は北欧系のノルマン人が建てた国家であるが、ウクライナ人はスラブ人を主に、ノルマンなどが混血してできた民族と言われる)。
一方、西南部はその植生(草原地帯)から、古くより遊牧民の通り道となり、古くはローマ時代のフン族の移動路、その後はモンゴル人のキプチャック汗国、オスマントルコと、アジア系の民族に長らく支配された地域である。チェルノーゼムという肥沃な黒土地帯でありロシアの穀倉でもある。
前述の人口統計によると、ウクライナ人の各州における割合は、以下の通り。
確かに北部、西部がウクライナ人の割合が高いが、東部でも五割を超える多数派である。
クリミア半島がかなり高く過半数を超えるのを除くと、多くても1-3割程度である。
このことから、あくまでもウクライナは東部も含めてウクライナ人が多数派であり、東西分裂は考えにくいことがわかる。
ちなみに、クリミア半島だけは例外で、ウクライナ人は2割程度で過半数がロシア人という構成であり、ウクライナの中でのロシア人自治州となっている。クリミア半島は元々トルコの拠点が最後まで残りウクライナの影響が薄い地域であった上に、ロシアの支配下に入ってからは軍事上の要衝として重要拠点となった。更にソ連時代には避寒地としても有名になった場所である。こういった歴史的背景もあり、ロシア人が多くなっている。
ウクライナの中には特別市が二つあるが、一つはキエフであるが、もう一つは第二の都市ハルキウではなくセバストポリである。
セバストポリはロシアの要塞が置かれた軍港で、ソ連時代には黒海艦隊の本拠地であった。ソ連邦崩壊の後も、その軍事拠点としての重要性から、ロシアが軍港を租借しているという、変わった街である。
世間で言うようなウクライナの東西分裂の可能性は低いとしても、クリミア自治州の分離独立というシナリオは、十分あり得るだろう。
ウクライナとクリミアの分裂の危機 は次回。
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