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1150年というと平安時代末期、藤原氏が没落し始め、源平の争いが活発化、平清盛が政治を握る直前の時期になります。
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他の時代と比べて特徴的な点は以下です。
・讃岐(香川)、志摩(三重の一部)が他の時代に比べてかなり大きい
・日本海側の北陸、山陰地方、出羽が大きい。特に北陸は東海に比べて大きくなっている。
・すでに関東地方が近畿よりも大きい。東北も九州並みに大きい。
この時代の経済的な中心は、機内、瀬戸内東部(讃岐や備州)、北九州、北陸、関東、東北だったことがわかります。
近世以前の物流手段が水運であったことは、
の記事でも述べたとおりである。
日本海側が太平洋側より栄えていたのは、大陸との交流があったというのもあるだろうが、
日本海側は対馬海流に流されても内海となっている日本海で国内のどこかにたどり着くが、
太平洋側や黒潮に流されると遠く太平洋の果てに行ってしまうため、当時の造船技術では海運にリスクがあり、太平洋側は陸運が中心だったためと思われます。
また、伊豆や相模が小国で、上総・下総・常陸、越前・越中、讃岐、豊前が大国であったことを考えると、
・頼朝の初期の挙兵が失敗したこと
・上総広常や千葉常胤の支援を得て頼朝は関東を平定できたこと
・常陸の佐竹が従わない間は西国に出兵できなかったこと
・木曽の義仲が東海ではなく雪の多い北陸経由で京都に攻め上ったこと
・福原(神戸)を追われた平家が、屋島(讃岐)を次の拠点としたこと
などの背景が見えてきて面白いです。
中世以前は関東はもともと半独立国のような気風があったと言われていますが、このマップを見ると関東が独立国家となりえる経済力があり、平将門のような反乱の素地があったこともわかります。
ちなみに、頼朝、義仲、平家、奥州藤原氏の4勢力の勢力圏は以下のようになります(1183年ごろ)。
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藤原氏が若干落ちますが3勢力が経済的に拮抗しているのと、義仲の勢力がこれ以上伸びることは頼朝も看過できない状態になっていたことがわかります。
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