古代の造船技術が未熟で羅針盤もなかったころには、船は陸地から近いところを航行せざるを得なかったことは容易に想像できる。天候が荒れた時などに、難破したり方向が分からなくなったときに、星や太陽の動きと陸地の形以外に、航行の頼りになるものはかかったであろうからである。
そうなると、安心して航行できる場所は、必然的に両方に陸地が見える地域、つまり内海に限られてくるし、島が多い地域であればなおさら航行がしやすく、水運が容易に使えて物流が発展しやすいことがわかる。
そういった観点で世界地図を見てみると、内海でかつ多島海というのは、意外に少ない。
西洋では、エーゲ海、デンマーク付近、エーゲ海、東洋では瀬戸内海とフィリピン中央部くらいである。
そういった意味で、エーゲ海と瀬戸内海が、それぞれヨーロッパ文明と日本文明の古代の中心地となったことが、理解できる。
以下は、両社を同縮尺の地図で並べてみたものである。
[エーゲ海(ギリシア)の地図] - google mapより
[同縮尺の瀬戸内海の地図]
両社を比較すると、瀬戸内海のほうが面積は狭いものの、淀川河口から関門海峡までの距離と、アテネからコンスタンティノープル(イスタンブール)までの距離が同じくらいであることがわかる。
両社は1000年くらいの時代の差があるものの、水運を中心とした人と物の移動が活発に行われて経済が発展したことがわかる。
ちなみに、デンマーク付近が経済発展を見せるのは、瀬戸内海と同時代のノルマン人やバイキングの活動のころからになる。
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