出口調査の結果を用いて、70代や南部各区で反対が賛成を上回ったことから、高齢者が無料バスの削減を心配して反対に回ったとか、南部住民が豊かな北部から切り離されて行政サービスが低下することを懸念したからだといったものである。
これらを指して「シルバーデモクラシー」とか「大阪市の南北格差問題」という形で説明されているようだ。
高齢化率については以下の大阪市のサイトにわかりやすいマップがあったので、見てみてほしい。
確かに南部を中心とした周辺部が高齢化率が高く、反対票が多かった地域と合致する。
http://www.city.osaka.lg.jp/toshikeikaku/page/0000249886.html
南北格差については、別途マップを作ってみた。
こちらが大阪都構想で提示された5区の区割り。
(ピンクー北区、緑ー中央区、黄ー東区、オレンジー南区、青ー湾岸区)
経済格差の指標として、域内総生産額と税収で見てみる。これらを面積マップに置き換える。
(左から、人口、区内総生産額、税収額)
5区の区割りは人口を均等にすることを主眼に置いていて、経済力では北区と中央区に大きく偏っているのがわかる。特に税収の偏りが大きい。こういうマップが選挙前に出ていたら、もっと反対票が増えていたかもしれない。
しかし、果たして高齢者を中心とした大阪市民は行政サービスレベルが低下することが主な理由で反対したのだろうか?自分の地元で置き換えてみると、そんなこと(!?)より、「橋下氏が好き・嫌い」、「地域名称への愛着」のほうが大きいと思う。特に経済生産活動から離れている退職後の高齢者や専業主婦にとっては、役所の仕事の効率化・財政緊縮よりも、そういったことのほうが投票の際に大きなポイントになったのではないかという気がする。
橋下氏への好き嫌いは置いておいて、町の名称への愛着というのは、この手の選挙結果に大きく影響してきたといえる。自分の住んできた町の名称が消えるというのは住民に取っては一大事であり、特にライバルの隣町の名称が残って自分のところの名称が消えるとうのは我慢できないらしい。そこで生まれたのが全国で多発した「さくら市」「中央市」「湯梨浜町」などの意味不明(?)な名称をつけるか、巨大合併にして政令指定都市化して「区名」として旧街の名称を残すという方法であったように思う。長年仲が悪かった浦和市と大宮市が合併できたのは、政令市化して旧名称が残ったことと「さいたま市」というひらがな地名をつけたおかげであると思う。
(古くは北九州の合併も同じケース)
平成の大合併では、こういった妥協点がうまく見つからずに、小さい側の市町村が反対して合併・再編が流れたケースが非常に多かった。
ここからは推測になるが、反対した理由は区割りと名称を拙速につけてしまったことだと思う。
橋下氏としては都構想は行政組織の再編がメインテーマであったのだが、下手に区割りと名称を示してしまったので、住民は市町村合併と同じ地域名称の再編・区の合併と捉えてしまったのだろう。(特に政治に関心の薄い層ほどそうだった?)
ここで市町村合併の成功パターンを考えてみると、 人口・経済力の小さいほうの区のプライド(?)を保つように進めることであったと思う。具体的には
・区割りのパターンは示すときには、複数示してできるだけ明らかにしない。
・区の名称はA区、B区などとして合併決定後に住民投票と有識者会議で決める。
・経済力の小さいほうの住民がプライドを保てるような区割りにする。
大阪都構想の進め方は、これらのいずれのポイントも欠いてしまった。
3番目のものについては、ちょっと説明が必要だろう。町には昔からの「格」というのがあって、一般に城下町や古くから政治の拠点だった町が高く、商都や衛星都市は人口が多くても低くみられる。
そうすると人口が多い側と格が上の側のプライドが衝突して破談になる。
うまく区割りするには、「ここの町の一部にならなってもいい」という憧れや愛着の感情をうまく利用することだろう。
具体的には、大都市においては、郊外の人々は都心のターミナルに向かって移動することが多く、区域外であってもターミナル街には愛着や憧れがあることが多い。複数の都心があることと、この感情をうまく使って、鉄道の沿線区分で地域を分けるほうがうまくゆくと思う。
これを都心と周辺部で分けてしまうと、周辺部の横並びの地域が、「あの地域と一緒になるのは御免」とか「こちらに区役所がこないといやだ」といった争いが発生してうまくゆかない。
東京であれば、都心部と東西南北を分けるのでなく、新宿・池袋・渋谷・東京・上野・品川を起点とした6地域にして「都心+郊外」というパターンを守るようにするのが争いが起きにくいだろう。
昔から憧れていたターミナル街と一緒になるなら、仕方ないし嬉しい、という感情だ。
大阪についてはあまり詳しくないが、新大阪 - JR京都/阪急ゾーン、梅田-JR神戸/阪急阪神ゾーン、京橋-京阪ゾーン、天王寺-JR奈良/近鉄ゾーン、難波-南海ゾーン、などの区割りだろうか。
大阪都構想でも当初4パターンの区割りが示されていたようでそのうち7区分案の以下のパターンのものは、上記の論点からすると、今の5区案よりもベターだったように思える。
橋下氏としては、区割りや区名を示すことで分かりにくい「大阪都構想」というものを誰にでもわかりやすくする狙いがあったのだろうが、それが裏目に出しまったのではないか。
実際に、区割りについての不満は選挙前から上がっていたようで、都心部で都会的なイメージがあり既存の中心区の名前を継承した北区や中央区が賛成多数で、周辺区の合併になった東・南・湾岸区が反対多数になったという結果だった。
ちなみに、この7区案を先ほどと同様に人口・総生産・税収の面積マップで見てみると、以下のような感じになる。経済力の格差は5区案より抑えられる。
それにしても100年に一度の僅差の投票結果で逃したのは残念。コストを最小限に抑えて実施して、失敗したら元に戻せばいい、という割り切りで進めてほしかった。
[参考記事]
大阪都構想で問題になった大阪市の人口分布
大阪とニューヨークの類似点
文明の発祥の地 : エーゲ海と瀬戸内海
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